日々これヨーガ (Japanese)

(ヨーガの四季、日本ヨーガ学会季刊誌)

また、こうしてお会いできるご縁は、ただ、出会いが深まるということだけではなく、私たちをつなぎとめる見えない大きな力を感じます。
私はもともと仏教美術の世界が専門です。その方向から興味が高じて、チベット仏教に、そして、その延長でその源でもあるヨーガに深く興味を持ちました。
私は、最初、オーロヴィルのことは全然知らなかったのですが、北インドを旅していた時、ラーマナ・マハリシの住んでおられた南インドの小さな町、ティルヴァンナマライを知りました。
早速訪れたところ、その山のもつ吸引力が素晴らしく、同時に懐かしさを感じたんですね。何と、私の生まれた京都市の左京区に似ているんです。聖山アルナチャーラから眺める町と大文字から京都市を見渡す雰囲気が驚くほど似ていたんです。とても懐かしくてしばらくそこでヨーガを深めていたんです。
ある時、たまたま買い出しに出た際、オーロヴィルの製品を発見することがありました。チョコレートやピーナッツバターとかオーガニックのものや衣類のクオリティーがとても高いので、ティルヴァンナマライからそう遠いこともなかったこともあり、ほんの2時間~3時間のつもりでオーロヴィルに出かけたんです。
そして、皆さんが今回瞑想をされたマトリ・マンディル(聖なる母の寺)というところで、瞑想をしようと思ったら1日滞在しなくてはいけないと言われたのでその通りにしました。
その瞑想の体験は初めての強い衝撃でした。そして2日経ち、2週間が過ぎ、さらに2カ月᠁そして今5年半᠁と。(笑)
とてもリラックスした場所でただ、引力のようなものを感じていまして、なるべくしてここに行き当たったように思います。
オーロヴィルという町はシュリ・オーロビンドとマザーがはじめたインテグラル・ヨーガに賛同する人が始めた町なんですね。
インテグラル・ヨーガの最も大事な部分は「ヨーガの精神的な開示というのはこの日常生活に反映されてこそはじめてヨーガの本当の意味が達成される」という考え方があります。ですからこのオーロヴィルは、ヨーガを主体とした町づくりなんです。
田原豊道先生は、1985年にはじめてこちらにおいでになってその時は骨組みだけだとおっしゃっていました。今のマトリ・マンディルとは全然違いますね。2008年にこのように完成しました。表面の装飾は薄いガラスの板に金箔がサンドイッチされていまして、そういう集中力を必要とする作業もすべてここの住民によって行われました。この場所ではこれもヨーガの一部になります。
つまりインテグラル・ヨーガは一人だけの成就に満足するのではなく、物質に反映されていく、しかも社会に広がっていくということが大事な部分です。
それで、物質への反映ということですが、同時に肉体的にも反映されなくてはならない。まずは健康で強い身体がヨーガには大事であるとも言えます。そういうことで日常の中で、人生の中で捨てるものはないということがインテグラルヨーガの核心ではないかと思います。捨てるのではなく変化(トランスフォーム)させてゆくものなのでしょう。
皆さんがいらっしゃる、ここチベタン・パビリオンも2008年にできました。起工式と竣工式の時にはダライ・ラマ14世が見えました。
この地には創設時より計画された、インターナショナル・ゾーンがあり、そこには世界各国のパビリオンの建設が進められています。
日本のパビリオンの設立も計画していますが、まだ、形にはなっていません。パビリオンへのステップとして日本の文化を理解してもらうために現在はいろいろ文化交流を計画、実行しています。
オーロヴィルには、一つの大きな目的があります。ヒューマンユニティーを目指しています。つまり、人生の目的は人類の和合である᠁と。個々人の内的真理の発見こそが真の社会的平和を実現するというものです。これが地球に生を受けた本当の意味であり、そういう物質的な顕現のひとつとしてこういうパビリオンがあります。
オーロヴィルで起こる変化は必ず世界のそとでも起こるであろうと、シュリ・オーロビンドもマザーもおっしゃいましたが、私たちは高い理想をもっていても、現実世界のなかでは、その実現とは反対のことばかり起こります。
たとえば、ヨーロッパを取り上げると、ドイツ人とフランス人が仲が良くなかったり、私たちで言うと、完全に乗り越えられていない問題、たとえば日本と韓国の問題、日本と中国の問題など、実際、日常生活レベルで起こってしまいます。でもそれが起こらないと解決されないことは私たちはよく分かっているんですね。ただ、問題をどのように乗り越えていくかが私たちの本当の使命であり向って行くゴールではないかな᠁と思うんですね。
それから、理想や夢に対して、真剣になり過ぎないのも視野が狭くならない秘訣ということで大事かなと思うんですね。対立している自分たちを笑ってしまうみたいな風潮がここでは自然に出来上がってきているようです。
ヨーガでも宗教でも同じではないかなと思うんですね。
蛙が柳の枝に飛びつこうと四苦八苦している、その蛙である自分を笑ってしまう。という感じですね。そういう態度が継続のポイントだと思います。
私自身、5年半いるとこんなことを感じます。
インドでは文化自体がどこから切っても核心に行きつくような気がします。つまり、クシュナの笑みだとかブラフマーだとかアーナンダに行きつくのですね。
そういう道筋が顕著なのがインドを総合的にみた文化なんです。それが素晴らしい部分です。
もう一つ、インドのすばらしさは、インドで起こる物事の不思議です。大陸旅遊の谷奥さんとの共通の話題で、本当のインドらしさを発見する機会が多々あります。
インドは、確かに計画的に物事を決めても、それが起こることはまずないです。ところが日本はどうでしょう。計画したことが起こるのは当たり前で、起こるという前提として物事がなりたっています。インドとは正反対ですね。
ですから、インドでは、ものごと一つ一つに真剣になりすぎるとこちらがダメージを受けます。
右の頬を打たれ、左の頬を打たれ、むしろ現実自体がダルマであり、毎秒、仏陀や神が説いているとしか思えない状況に追い込まれるんです。
町に出て行っても起こること自体がただ起こるのではなくてクリシュナのユーモアと笑顔がその背後にあるとしか思えないんです。
日々これ道場(ヨーガ)という感じですね。かなり綱渡り的な感じなんです。思い通りにゆかず、自分の国に帰ってしまう状況に追い込まれる人も結構います。他の国でも起らないわけではないんですけどね。ただ、起こり方の可笑しさ。不確実さの可笑しさなんです。もう笑うしかない
んです。(笑)
この辺で、私だけ話すのではなく皆さんのお話もお聞きしたいです。
田原豊道 クリシュナの笑みについて、単なる材料として言いますと、坂村真民さんが、「大宇宙の大生命の大精神は大和楽にある」とおっしゃいました。一人一人表現は違っても同じことを言っているのでしょうね。クリシュナの笑みはサムシング・グレートなのではないかな。
江里尚樹 そうですね。たとえば、アフリカの飢餓、原爆などであってもすべての物事の背後にそれを包み込むような偉大なエネルギーがあります。それがクリシュナの笑みでありアーナンダです。
荻山貴美子 シュリ・オーロビンドの教えは独学で身につけられましたか?それともどなたかの教えを請われましたか?
江里尚樹 どちらもです。シュリ・オーロビンドは西洋文学、ラテン文学に精通していてダンテに匹敵するくらいのプロの文学者なんですね。とてもたくさんの書物を残しておられますが、英語がとても難しい。ですからマザーの残されたものの方が少しアプローチしやすいと思います。それから長く学んでおられるかたに生きた教えをアーシュラムで教わったりしました。
濱田博子 江里先生は3年前にお会いした時とすごく感じがお変りになりましたが、先生に何が起こったのでしょうか?
江里尚樹 以前はとても真面目に真剣に取り組んでいたんですね。(笑)あれからとても笑顔が多くなりました。
それから最近、髪を切ったんですね。きっかけは高熱を出したことからなのですが、高熱は身体のクリーニングと受け止めて水だけ飲んで4日~5日ベッドで横になっていました。治まった時、過去の整理というか、まだクリーニングしていない部分があるような気がしました。その時、髪を切りました。
かつて私の中には「ヨーガをやっていますよ」という外見的なアピールなり態度がどこかにありまして、それも大事かもしれないけれど、今の私には必要がないと思いました。
実際、修行者の長い髪や長い髭は生理的な機能としてアンテナの役割を果たすというインドや中国の伝統があるのも事実ですから、それを否定はしません。でも私はヨーガは日常の変化の中に発見があるのだと思っていますから᠁。
椎名慶子 私は初めてのインドで、楽しみに楽しみに、本当に楽しみにしてきました。実は、この数ヶ月間自分の中に問いがありまして、期待していた答えのヒントがまだ見つかりません。見つからないまま、もうあと一日になってしまいました。(涙)
江里尚樹 それは追い込まれた涙だったんですね(笑)
椎名慶子 このまま日本に帰り、仕事をしなくてはなりません。
江里尚樹 それは仕方ないですね。(笑)
椎名慶子 でも今、江里先生のお話をきいてヒントが見つかりました。あまり真剣になり過ぎないない᠁(笑)ということなんですね。
江里尚樹 そうですね。(笑)それにあまり期待しすぎないことですね。期待しすぎると自分のイメージをインドに押し付けることになり、そのイメージとインドは一致しないですし、インドはそれを裏切る国です。だから素晴らしいんです!
佐藤明美 私は時の流れに身をまかせ᠁というのがとても好きなんです。自分自身で二年前に田原先生と荻山先生と、インドに絶対に行くぞ!と固く決めた時からいろいろな展開がありました。私は頭で考えるのではなく、今この場所でこうして体験しているということこそ大事で、こだわらないのが一番うまくいくと体感しています。
江里尚樹 そういっていただけると言葉がありません。
鈴木由美子 私は十数年前からインドに来たくて来たくて仕方がなかったんです。それで、行くと決めたのに、申し訳ないくらい、出発前からワクワクドキドキもしないんです。
「私って何だろう?」と拍子抜けするくらいでした。ところが、今日、マトリ・マンディルで瞑想させていただき、もう、涙が止まりませんでした。なにかむずかしいことではなく本当に素朴に「やっと私ここに帰ってきた!」みたいな感覚でした。でも瞑想センターから出てきたらもう何ともないんです。(笑)
江里尚樹 構えず期待していなかったのが一番良かったのだと思います。
鈴木由美子 本当にマトリ・マンディルで瞑想する今朝まで、ただ、私インドにいるんだ!ここにいるだけで幸せ᠁と思っていました。
江里尚樹 インドの体験というのは何とも言えないものがありますよね。

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